プロフィールにも書いていますが、
私は過去に何度もうつ病を再発しています。
うつ病が再発するたびに、
「またか…、もういい加減にしてくれ!」
「なんでこんな苦しい目に合わなければいけないんだ!」
「何故俺はこんなに打たれ弱いんだ!」
「普通に楽しく生きている人がうらやましい…」
などと、世の中を恨んだり、自分の弱さを嘆いたり、
他人を羨んだりして生きていました。
うつ病になって良かった!?
ですが、ある時、
「どうせ、うつ病になったんだから、
どうすればうつ病にならないようになるか、
徹底的に調べて詳しくなってやろう」
そう考えるようになりました。
食事療法に出会ったり、認知療法で考え方を改善したり
するうちに、いつの間にかうつ病を克服し、
今ではその体験などをブログに書くことまで
できるようになっていました。
ブログを書き始めたのは、最初は自分のためでしたが、
今では書いている時は、少しでも読んでいる人の
役に立つような文章を書こうと思って書いています。
少しずつ、人のことも考えられるような
余裕が出てきたことはとても嬉しいことです。
そうしてふと、考えてみると、自分がうつ病になった
理由というのは、そういうことだったのかなと
思えるようになってきました。
自分のことも以前よりはだいぶ許せるように
なりましたし、いろんな考え方を知ることで、
人のこともだいぶ許せるようになってきました。
これは、うつ病にならなければ
決して得られなかった心境だと思っています。
うつ病にならなければ、決して考え方を変えようなどとは
思わなかったでしょうし、「なにか世の中には
真理と呼べるような『宇宙の法則』みたいなものが
あるんじゃないか」などとは考えなかったと思います。
自分が変わるきっかけを作ってくれたという意味で
(うつ病にはもうなりたくないですけれど)、
うつ病になって良かったと言える自分がいます。
老いや病気についてどう考えるか
先日も記事に書いたシスター・渡辺和子さん。
彼女は50歳でうつ病を発症しました。
68歳の時には膠原病になり、薬の副作用で背中の骨が
損傷してしまい、身長が14cmも縮んでしまったそうです。
その時、「なぜ自分がこんな目に合うんだ」と考えずに、
「何のために自分はこの病気になったのか」と
発想を転換したことで、自分が変わることができた、
とおっしゃっていました。
「なぜ」ではなく「何のために」と考える。
また、病気や老いを人生における「穴」に
例えて話していました。
思いがけない病気や挫折、人からの中傷、裏切りなど、
人生には穴があくことがたくさんあります。
そんな時、人を恨んで「なぜ?」「なぜ?」と聞くのではなく、
「穴があくまで見えなかったものを、
その穴から見てやろう」
そして「見えるんだ」という方へ
自分を持っていったと言います。
(関連記事)
>>将来に不安しかない時の考え方~中居正広の司会力
穴があくまでは見えなかった世界が見える。
別に見たくなかった世界かもしれませんが、
見えていない人よりも、見える世界が
広がったということは事実です。
つまり、それだけあなたが豊かになっている、
と考えることもできるわけです。
「なぜ?なぜ?と後ろばかり向かずに、
前向きに、何のために私のために開いた穴なのか、
と考えるようにしたらどう?」
シスターは微笑みながらそう話していました。
素敵な年の重ね方
85歳のシスターは、こんなことも
おっしゃっていました。
「老いは必ずしも悪いものではありません。
老いるまではわからなかったことをわかることができます」
今までは「doing to do」、「する」ことだけが大事だった。
しかし、人生も終わりに近づいてくると、
することが限られてくる。
そうなると、「どのようにするか」「いかに丁寧にするか」
ということに重点を置くようになってきたそうです。
「to be being」、「ありかた」を重視するようになった。
どういう気持ちで行うか、量より質に
目を向けられるようになってきた、と。
85歳というと、人生の「冬」。
しかし、「春夏秋」を懐かしんでばかりいてはいけない。
冬が来たら、冬のことだけを思う。
そして冬をいかにして過ごすか、
冬だけが持つ「深さ、静けさ、厳しさ」
それを倣っていこうと考えているそうです。
やさしい微笑みを浮かべて語る渡辺和子さん。
素敵な年の重ね方をしているなぁと感じました。
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>>幸せになりたい人必見!執着心を捨てるたった1つの簡単な瞑想法
私の体験談が何かの役に立つかもしれません。
良かったらご覧ください。