今年の6月ごろに、テレビで高島ファミリーを取材した特別番組がありました。
9月には徹子の部屋に高島忠夫さんの妻・寿美花代さんがゲスト出演していました。
両番組を通して改めて痛感した、
うつ病患者さんを支える家族の大変さについてまとめておきます。
うつ病を患い、数多くの番組を降板
人気司会者として多くの番組に出演していた高島忠夫さんが
うつ病を患い、全ての番組を降板して闘病生活に入ったのが
15年前のことです。
高島さんがうつ病になったきっかけの一つとして、
49年前の事件について取り上げていました。
高島夫妻には、現在俳優として活躍中の
高嶋政宏さんと高嶋政伸さんのご兄弟が生まれる前に、
道夫さんという長男が生まれていました。
道夫さんが生後5ヶ月の時に、
お手伝いとして雇われていた17歳の少女に
殺害されてしまいました。
お手伝いの少女は、高島夫妻の大ファンで
殺害の動機は赤ん坊に対する嫉妬心だということでした。
夫妻は思い出すのがあまりにも辛いため、
事件以降49年間、夫婦で赤ちゃんの話をしたことは
一度もなかったそうです。
忠夫さんは、仕事に没頭することで
現実の辛さを忘れようとしていました。
そして、無理を続けた結果、
代償としてうつ病を患ってしまいました。
当時出演していた全ての番組を降板し、
家族を巻き込んだ闘病生活が始まりました。
家族すべてを引き込む“底なし沼”
仕事を続けながら看病をしていた寿美花代さんですが、
介護の辛さから、精神的にかなり不安定な状態だったようです。
ある日、高嶋政宏さんが大切にしていたクリスタルの亀の置物を
寿美さんが掃除中に落として壊してしまいました。
政宏さんは別にとがめるつもりはなかったのですが、
亀の足が曲がっていたので、「足を曲げたの?」と
何気なく聞いたそうです。
すると、寿美さんは取り乱したように、
「亀の足がとれたから接着剤でつけたんだ。
私はいいと思ってやったんだ。お兄ちゃんに怒られると思ったからやったんだ。」
と号泣してしまったそうです。
毎日このようなことが続き、
家の中は何ヶ月も重苦しい空気で覆われていたそうです。
当時の寿美さんの日記にも、
「家族全員忙しいのはわかっているが、みんなが私の肩にのしかかりっぱなし。
全ての事少しは手分けできれば。」
「忠夫とは、一日話はほとんどしません。私の人生楽しくなかった!です。」
と書きつづられていました。
当時は、家族の中で、誰がうつで誰がまともか
わからないような状況だったそうです。
政伸さんは、当時の忠夫さんのことをこう振り返っていました。
「パパは周り全てを引き込んでいく底なし沼だった」
「うつ病の周囲の人自身にもケアは必要」の記事でも
書いているように、支えている人自身がうつに
なってしまわないように気を付ける必要があります。
センス・オブ・ユーモアの精神が大切
そんな大変な状態の時に、追い打ちをかけるように
忠夫さんのお母さんが亡くなります。
寿美さんは、主治医の先生から、
「病気が悪化するので、忠夫さんに言ってはいけない」と言われていました。
忠夫さんがお母さんのことを考えないように、
母の日が近づいてくると、新聞に入ってくる母の日関連のチラシや記事を
すべて取り除いたそうです。
テレビ番組で、母という言葉が出てきたら
すぐにチャンネルを変えるということもしていました。
そんな状態のときに、ふと我に返った寿美さんは、
政伸さんに「これ、喜劇やな」と言って、
二人で笑ってしまったそうです。
この時、政伸さんは「センス・オブ・ユーモア」、
辛いことを笑いに変えることはすごく大事なことだと感じたそうです。
それ以降、無理にでも笑顔を作ろうとしなければ、
全員が闇に飲み込まれてしまうと思い、
家族一丸となってうつに立ち向かってきたそうです。
そのかいあって、忠夫さんのうつの症状は
大部良くなっているようです。
他にも心臓病やパーキンソン病、糖尿病なども併発し、
年齢的な衰えもあるため、完全に元気とは言えないかもしれませんが、
うつ病に関して言えば、家族の献身的な支えのおかげで
確実に回復しているようでした。
うつ病患者さんと一番長い時間を過ごしているのは家族です。
正しい対応をすれば、うつ病は改善に向かいますが、
間違った対応を続けると、症状の悪化を招いてしまいます。
もし、家族にうつ病患者さんがいて、
「どう対応すればいいかわからない」、
「寿美さんのように介護うつになりかかっている」
という場合には、こちらの教材をお役立てください。
私の体験談が何かの役に立つかもしれません。
良かったらご覧ください。
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