「そこ、滑るから気をつけて!」
「濡れたら壊れるから時計はずして!」
「あぶない!だから滑るって言ったでしょ!
こっちへ来てなさい!!」
先日、家族で池のある公園に遊びに行ってきました。
すると、池の近くで、しきりに子どもを
注意しているお父さんがいました。
池の周囲は丸い大きめの石がたくさんあって、
たしかに濡れている石の上は滑りそうです。
ですが、たとえ滑って池に落ちたとしても、
陸の近くはすごく浅いですし、
溺れるなんてことは考えにくいです。
せいぜい服が濡れるか、
転んでもちょっとしたケガをするぐらい。
親が子どもを心配するのは当然だと思いますが、
「失敗する前に注意をしすぎるのってどうなんだろう?」
と考えてしまいました。
注意をすれば、たしかに子どもは滑ってケガをすることも、
池に落ちて服が濡れることも、時計を濡らして壊すことも
ないでしょう。
でも、そこには「自分で考える」
という行為が抜けてしまっています。
丸い石の上で滑って、痛い思いをしたり、
水にはまったりして、初めて
「濡れた石の上を歩くのは危険」ということが
理解できるのではないでしょうか。
もちろん、命の危険があったり、重傷を負うような
危険がある場合は、あらかじめ注意をすることも必要でしょう。
でも、今回のような場面では、基本的に子どもは
勝手に遊ばせておいて、いろんな失敗をさせたほうが
良いと思っています。
「失敗」という言葉を使いましたが、
それは、その出来事だけを見た場合のことであり、
長い目で見れば「失敗」は「経験」と名を変えて、
役に立つものに変わります。
うつ病も同じことだと思っています。
その時は、とても辛くて苦しくてイヤなものにしか
思えないかもしれません。
しかし、うつ病を経験したからこそ、
「自分が楽になる考え方」に気づくこともできます。
その時には、うつ病になる前よりも
ずっと簡単に幸せを感じられている自分を
感じていることでしょう。
自分が楽になる考え方はこちら
>>プチ認知療法の本音レビュー
私の体験談が何かの役に立つかもしれません。
良かったらご覧ください。