昨日、元モーニング娘の
矢口真里さんが復帰しましたね。
ミヤネ屋に出演すると聞いたので、
録画して昨日の夜見てみました。
特に矢口さんが好きというわけではないのですが、
大きなスキャンダルを起こし、1年5ヶ月という
長いブランクがあった後、一体どんな様子で
テレビの前に現れるのか、という点に興味がありました。
いくら芸能人とはいえ、世間の批判的な目は
とても恐ろしかったことと思います。
平気でバッシングする人達
番組を見てみると、やはり緊張した様子は見えましたが、
毅然とした態度で、自分の言葉でしっかりと
受け答えをしている様子に好感が持てました。
出演には賛否両論あったようですね。
まぁ、人間にはいろんな人がいるわけですから、
批判をするのも自由だとは思います。
世間の騒動がピークだった頃に、
矢口さんの不倫問題を取り上げた
ニュースのコメント欄を見たことがあります。
その時は
「なんでこんなに関係ない人たちがバッシングしてるの?」
というぐらい、かなりきつめの批判が殺到しておりました。
中には、人格を否定しているものすら多数ありました。
こういった人達は、一体どういった心境で
批判をしているんだろう、と不思議に思いました。
例えば、矢口さんが自分の娘であったり、
自分の身近な人間だったとしたら、
さすがにそんな言葉は言えないと思います。
しかし、多くの人達は、もし自分や身内が
言われたら、恐ろしく傷つくであろうことを、
平気で書き込んでしまう。
人の痛みと想像力の関係
以前、ビートたけしさんが、東日本大震災の時に、
「人の痛みがわからないヤツは想像力が欠如している人間だ」
というようなことを言っていました。
結局、矢口さんを平気でバッシングしていたような人は、
「言われる人の気持ちを想像できない人」
「同じことが自分の身内に起きたら…と想像できない人」
「自分のことを省みる想像力のない人」
ということなのではないでしょうか。
矢口さんが行なってしまったことは、
確かに、人としては責められるべき
ことなのかもしれません。
元旦那さんは、とても傷ついたことでしょうし。
そういった意味では、矢口さん自身も
「人の痛みがわからない想像力の欠如している人間」
と言えるのかもしれません。
しかし、矢口さんの行為を擁護するわけではありませんが、
バッシングをしていた人達は、これまでの人生の中で、
何も後ろめたいことをしたことは無かったのでしょうか。
芸能人バッシングといじめの構造
先日、伊藤幸弘という人の
「不登校・ひきこもり解決DVD」を買って、見てみました。
そのDVDの中で伊藤幸弘さんは「いじめ」について
こんなことを言っていました。
「いじめるヤツも、ストレスが溜まっている」
「いじめられる子は、
そいつらのストレスのはけ口にされたに過ぎない」
「いじめるヤツが100%悪い」
結局、矢口さんへのバッシングも、
いじめの構造と同じで、バッシングする人の
ストレスのはけ口に矢口さんが選ばれてしまった、
というだけのことなのかもしれません。
なんとなく将来に希望を見出しづらい、
閉塞感のある世の中です。
自分でうまくストレスを解消する方法を見つけて、
平気で人を傷つけるような行動を取らないように
気をつけたいものですね。
矢口さんほどの大きな人間関係の渦に
飲み込まれることはないと思いますが、日常的に
他人の評価に振り回されがちな方にはこちらがオススメです。
私の体験談が何かの役に立つかもしれません。
良かったらご覧ください。